【20周年企画】 認定NPO法人ピッコラーレ
「あの頃は、沈没寸前でした・・・」
2020年に協働を終えた認定NPO法人ピッコラーレ代表の中島さんに、協働に至るまでの経緯から、協働の様子について話を伺った。
▼インタビュー(取材:2023年2月7日(火))
(Q)SVPの投資・協働に応募しようと思った理由、きっかけを教えていただけますか?
(中島)ETIC.(特定非営利活動法人エティック)とNECの支援プログラム「社会起業塾」に参加した時に、私のメンターがSVPの前代表だったことがきっかけでした。当時、9ヶ月伴走していただいて、団体の外に相談相手がいることの力、有難さを感じました。そのときに参加していた人や卒業生からSVPの話を聞いて、私たちもという気持ちになっていたのです。
1回目の応募の時は選んでもらえなくて、ショックでした。ただ、まわりを見渡すと3回ぐらい挑戦している人もいたので、何回でも応募するマインドにはなっていました。
(Q)応募する時点で、ご自分の団体はどういうステージにあると認識されていましたか?
(中島)応募段階ではまだ事務局もなくて、何のためにやるのか、ビジョンも明確でした。ビジョンに向けて何をするかという事業もクリアだったし、もう始まっていたけれども、それを支える基盤がなかった。「船が無い」みたいな? 載せたい荷物はあるけれど、船が無いという状態で、起業して3年目ぐらいだったと思いますが、沈没寸前。荷物はどんどん増えて、でも筏みたいな船でやっていたわけです。「これだけのことをやろうと思ったら貨物船がいるよね」と言われて・・・。
向かっていく方向と荷物、やることは明確なのですが、その荷物がどれだけ重たいかとか、それを支えるためにどういう風にしなければいけないかをわかっていなくて、「あなたたちは沈没する」と言われている状況だったので・・・危なかったと思います。
(Q)選考の期間が半年ぐらいあったと思いますが、選考過程で印象に残っていることはありますか?
(中島)他のプログラムだと、選考プロセスはジャッジされる時間なのですよね、競わされている感じ。SVPは選考段階から協働が始まっている感じがして、ジャッジというよりは、「この人たちには何が必要か」を一緒に考える姿勢があって・・・チームでやってくれているからだと思うのですが、あの時間はすごく良かったです。
(Q)実際に協働が始まり、最初の頃、印象に残っていることはありますか?
(中島)うちのメンバーのヒアリングを、協働に参加している人たちだけではなくて、その場に来られない人たちも含めてヒアリングしてくれたんですよね。あれは本当に良かったと思っていて。みなさんが団体全体を見ようとしてくれて、そこに居ない人のことや、そこで見えているものが全てじゃないととらえてくれたのは、その後のSlackの導入や、事業が動いている中にみなさんが入ったときの関係性作りにも良かったと思います。
(Q)1年目の成果は何だったでしょうか?
(中島)大きく分けてふたつあります。ひとつは、うちの課題は外の人が入ってくることに対する抵抗というか、「大丈夫?」と身構えるところがあって、それは取り扱っているテーマが本当の意味で理解されづらいという想いや、秘匿性の高いことをしているという理由があるのですが、そこが1年目で、思ったより早く、私だけではなく他のメンバーも含めて、「必要な人たちが関わってくれている、ありがとう」という空気ができて、ありがたかったです。外の人たちが入ってくることへのハードルが下がったのは大きいです。1年目で下がったから、2年目は一気に進んだと思うのですが。
ふたつ目は、中計(中期事業計画)が立てられたことです。最初は、「中計って何?」みたいな感じでしたが、今年、来年、3年後と数字が入った計画を立てられるようになったことは1年目の成果だと思います。
数字が見えると、そのお金があったら何ができるか、ということとつながっているから、自分が妄想したり、ニーズとして感じていることについて、以前は「やるぞ」となって、後からお金を集めてくるという順番だったのが、お金を先に集めることを、もうちょっと考えるようになったのかなと。優先順位がつくのですね、お金のことが見えると。どの順番でやっていこうということまで、みんなで考えられる。私の頭の中だけではなく、みんなでそれを見られるようになったのですごく良かったです。
(Q)続いて、2年目の成果は何だったと思いますか?
(中島)プロジェクトホームという新しい事業です。固定費がかかって、従来の妊娠葛藤相談窓口事業と同じぐらいの予算規模で動かさなければいけない事業は、実は3年ぐらい前から温めていて、やりたい、やりたいと思っていたし、必要だったのですが、できていなかったんですよね。
そこにみなさんが入ってくれたことで、本当に大きな事業が立ち上がりました。啓蒙啓発の部分と資金調達の部分は大変お世話になりました。しかもその事業が今、国の事業になりました。児童福祉法改正にもつながり、国の特定妊婦等支援臨時特例事業ができ、令和6年の児童福祉法の改正では臨時事業ではなくなります。それはピッコラーレの応援だけではなくて、全国で同じことをしている人たちが使える制度なので、それが急速に広がることも、皆さんが後押しをしてくださったおかげだと思います。すごく大きな成果だと思います。
加えて、2年目の大きな成果はSlackです。うちはコロナの前からリモートワークをしていて、人数が7人とか10人の時は良かったのですが、人数が増え、事業が増え、一つの事業の中でも細分化されたコミュニティが必要になってきたときに、オフィスを持たずにどうやってみんなで情報共有するかというコミュニケーションツールとして、Slackを導入できたことです。
さらに、SVPの人たちがSlackにいるのが当たり前な状態で使い始めたから、今はSVP以外の協働先の方もどんどんSlackに入ってもらって仕事ができています。これは、協働で経験していないとできなかったことだと思います。とにかくコミュニケーションコストが下がるというか、全部ピッコラーレのプラットフォームの中でやりとりできるから、とても楽だし、量と質を大切にしながら業務を進められるし、忘れないです。
コミュニケーションのための基盤が整った。船の中でもすごく大事なところだったと思います。それができたのは、大きいかな。
(Q)20年9月で協働が終わった後については、どういうことを感じていますか?
(中島)私たちに相談相手がいる状態は今も変わらず、2年間の協働の中で立ち上がった事業は今も続いていて、それが発展というか、0が1になるとか、0が0.5になったりしていた部分が、もう少し育ってきていると思います。事業規模も協働の時の倍か、1.5倍ぐらいになっているかな。やりたいことがやれる体制。「船が無い」と言われたところから、船がようやくできたんだなあというのは日々実感しています。
事業が育つのはもちろんそうなのですが、事業を育てる「人」のところをサポートしてもらっている感じがします。SVP東京の協働は、メンバーひとりひとりと関わってくださる感じがあって、全体で一緒に成長できるんですね。組織の全体に効果が波及するから、やりたいことが大きければ大きいほど、チームが育つ面はあると思います。それが今も続いている。
(Q)取り組む課題によって、社会の認識や社会の変化の度合いはずいぶん違います。中島さんとピッコラーレが取り組む課題の場合、協働が始まる前と今で、世の中の社会課題に対する認識は変わってきたと思いますか?
(中島)例えば、「0カ月0日死亡」、生まれたその日に亡くなる赤ちゃんが日本の虐待死の中で一番多いという事実を知った人は増えたと思います。妊娠で葛藤する人がいる背景にいろいろな課題があることを知っている人も増えたと思うし、実際に妊娠葛藤相談窓口が増えているし、特別養子縁組に取り組む団体も増えているし、若年妊婦の居場所を応援する団体も増えている。母子生活支援施設が妊娠期からの受け入れを始めています。課題のそばにいる人たちも動き始めているのかなと感じます。
一方で、妊娠を自己責任とするまなざしはそんなに簡単には変わらないのかなと思っています。私たちが取り組んでいる社会課題だけがピンポイントで変わるというよりも、例えば選択的夫婦別姓や、共同親権の問題もそうだし、緊急避妊薬のOTC化や、周辺のいろいろな課題がひとつひとつひっくりかえっていくことで、変わっていくのかなという気がします。ただ一方で、今、バックラッシュがすごいです。女性支援のところも、性教育のところも・・・。
女性支援の文脈、妊娠葛藤でピッコラーレのことを知っていただいていますが、すべてのジェンダーから相談が寄せられていて、例えば男性の相談が16%ぐらいあります。私たちは妊娠に関する相談窓口ですが、女性のためだけにやっているわけではなくて、もっと突き詰めると、例えば相談者さんや利用者さんの中にはノンバイナリーの方もいるわけですね。性自認が女性とは限らないのです、妊娠している人のすべてが。
(Q)その課題は良い方向に向かっているのでしょうか。どう思われますか?
(中島)一つの法律や制度はたぶん変えられると思っていて、それが変わると解決する部分もあると思いますが、一番大きいのは、一般市民の感覚とか、ひとりひとりの価値観みたいなものを変えるのはすごく大変で、そこが障壁になっていると感じることがいっぱいあるんですよね。だからそこを変えるというのはなかなか大変だなと思います。これまで変わってきてないということを考えても。
(Q)そうした状況の中で、ピッコラーレとしてできることについて、どう思っていますか?
(中島)大きな力を持ったひとつの団体がガラッと変えるわけじゃなくて、きっと本当に小さなNPOや、団体ではなくてひとりの市民とか、小さな存在でも、それがたくさん集まることでしか変わらないと思うから、私も私個人として、私の周りにいる人たちとどんな話をするかとか、どういう空気を作るかということにかかっていると思うので、ピッコラーレとして役割を果たせると思っています。相談してきたピサラ(妊婦のための居場所施設)の利用者さんたち、当事者である彼らや、その彼らの周りにいる人たちが変わっていくことも起きるから、それが未来を変えていくだろうと思っています。
(Q)最後に、SVPの協働・協働先に応募することを考えている団体のみなさんに声をかけていただけるとしたら、どういう言葉になりますか?
(中島)自団体のステージがどこなのか、気にせず応募するといいと思います。私たちが応募するとき、こういうステージの団体に向いているといった情報もありましたが、実際に協働している中で、どういうステージであっても、こういう味方の存在は必要ではないかと思いました。選考の期間でのご縁もいただけるので、自分たちが何年目とか気にせず、応募するといいと思います。
===============
▼ピッコラーレについて (https://piccolare.org/)
毎年約80万人の赤ちゃんが生まれる一方、14万件以上の中絶が報告されている。妊娠をして、誰にも相談することも助けを求めることもなく、たった一人きりで妊娠を抱え、孤立の中で出産に至る人をなくしたい、という思いを持って活動をしている団体。
助産師、看護師、社会福祉士など国家資格を持つ相談員30名以上が、365日、メールと電話による相談を受付けており、産む・産まない、育てる・育てないの判断を冷静にできるためのサポートをしている。
2015年9月、前身団体の「一般社団法人にんしんSOS東京」が発足。2018年11月に「特定非営利活動法人ピッコラーレ」を設立し、事業を引き継ぐ。2022年12月6日付けで所轄庁の東京都より承認を受け、「認定NPO法人ピッコラーレ」に。
===============
▼代表/中島かおり氏
助産師。孤立した妊婦によって、生まれたその日に亡くなる命があることを知り、そんな悲しいお産をなくしたい、妊娠をして孤立している方と妊娠中から繋がりたいと、2015年、様々な国家資格を持った仲間とともに、妊婦が安心して相談できる「妊娠葛藤相談窓口」を開設。
現在、相談窓口は自主財源で運営している窓口(東京)だけでなく、行政(千葉・埼玉)とも連携し、団体メンバーは50人規模に拡大。設立当初からリモートワークに対応した独自の取組みで、コロナ渦で急増した様々な妊娠にまつわる相談に対応している。
メールや電話では解決できない問題や緊急度の高いケースでは、実際に当事者と会う「同行支援」を行う。2020年、クラウドファンディングで目標金額を大きく超える775万円を集め、居場所のない妊婦に、安心して過ごせる居場所を提供する施設を開く。(事業名:project HOME、居場所施設名;ピサラ)相談者から寄せられた膨大な相談をもとに「妊娠葛藤白書」を発行。
===============
▼SVPの協働内容の概要
◆協働期間:2018年~2020年
◆当初の協働計画:
事業を拡大していく中での組織体制づくり、財務モデルの作成と新しい収益基盤の模索、相談データの活用方法の検討と白書発行、自治体受託案件の増加、他団体コラボ案件増加、相談員増員、スタッフ採用、広報活動(ブランディング)、100人超の寄付サポーター獲得、5ヶ年事業計画作成
◆協働の成果と実績:
<組織体制整備>
・スタッフへの個別インタビューによる組織課題の把握、2回の合宿でのビジョン作り、定例会やお祝いごとを活用した団体内のコミュニケーション活性化などにより、団体内でのチームビルディングが進んだ。
<IT支援>
・Slack導入と活用支援により、事業が増えていく中で効率的なコミュニケーションが可能に。
<経営戦略>
・NPO法人の設立をサポート。あわせて経理システムの導入や会計実務のサポート。
<助成金対応>
・行政とのやりとりのアドバイスなど、助成金の申請・継続に関するサポート。
<事業開発>
・居場所事業を立ち上げるため、クラウドファンディング・寄付サポーター集めの計画と実行支援。不動産取引に関わるサポート。
<広報・PR>
・「妊娠葛藤白書」を企画、編集、発行サポート。
・居場所事業立ち上げに関わるウェブサイトの刷新、広報戦略の支援。